湿原保全作業に参加して(6/18)

 この日は、鮭川村の米湿原で、保全作業に参加。毎年、数多くのボランティアや地区の人の参加で維持されている米湿原の保全作業には、頭が下がります。
 でも、今日はちょっと保全作業の難しさについて考えてみたいと思います。

「米湿原」は標高も低く、上流部からの土砂の流入などもあり、また以前のような土地利用(カヤ刈りなど)も廃れているなかで、ある程度「人為的に」保全されている湿原です。しかし少し手を入れることにより、希少な植物を含め、多様な生物か姿を現す。人の手が入って利用されてきた里山が、高い生物多様性を示す、そのような姿の再現だと思います。

 「人為的介入」の一つが、今回のようなボランティアを含めた保全作業になるかと思います。刈り払いをし、刈り払った植物を撤去し、流れをせき止めるような形で草を積み上げて湿地化させたり、特定の植物(今回はヨシ)の抜き取り作業を行ったりという作業を行ってきています。

 今回はヨシの抜き取り作業だったのですが、その中で感じたことをいくつか書き留めておきたいと思います。

1)多くのボランティアに支えてもらう作業。
 参加者の方々が気持ちよく作業に参加し、これから先も参加しようと思ってもらえる雰囲気作り。これがこの地区のうまい所かなと思います。厳しくしすぎない、難しくしすぎない、細かく指示を出しすぎない、楽しく、気持ちよく作業ができる雰囲気作り。これ難しいことだなって思います。
2)多数の方が参加する中で、意識の共有はなかなか難しい。
3)ヨシの抜き取り作業の意味の共有
 米湿原という人為的生態系の中で、ヨシを抜き取るということは、ヨシだけを排除した多様な湿原の植生を維持したいということなのだろうけれども、そこの意味を共有した上での作業を調整するのが難しい。
 バラ園、アヤメ園ではないですが、特定の種を保全(というか見せる)するための作業のように、思われてしまうところがある。
 またヨシを抜き取るために、他の植物は踏みつけられることもおきる。これは作業の効率性もあるので、どうするのがベストなのか難しいとは思いますが。
4)多くの人が動くことで、道ができてしまう。
 多数の人が同じ所を、何度も歩いてしまう。その方が歩きやすいし、植物を傷めない気がするけど、それで道ができてしまう。道ができてしまうと、それは人を呼び込んでしまうし、植生を回復不能にする。
5)全体図・見取り図の共有(少なくとも、何人かのスタッフで共有すること)
 このエリアではこういう作業を行う、というのをわかりやすく共有することの難しさ。事前に、マップを作って、エリアごとに立てておくとか、担当スタッフを決めておくとか、みんなに配付しておくとか。これをうまくやることは重要かなと思います。
 特に、刈り払い機を入れたりする場合には、その威力/破壊力は甚大なので、適切にコントロールする手法は重要なのだろうと思います。

 何年か、米湿原の作業には参加させてもらっていますが、今回、改めていくつか考えたことをとりあえずメモしておきます。

 

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