レンダイノ

「昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの習いありき。老人はいたずらに死んで了うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり。そのために今も山口土淵辺りにては朝に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり。」(岩波文庫版 P70より)

先日まで、神奈川近代文学館にて開催されていた「柳田國男」展の一角に、蓮台野についてのパネルがあった。遠野物語はだいぶ昔に手に取った記憶はあるが、すっかり忘れていたので、古本屋で一冊手に入れてみた。

きっとかっては、気にとめることもない一節であったかもしれない。いろいろなことを考えなくてはならない時代に生きているということか。

実は蓮台野の話が頭に入ってくる少し前は、次のようなイメージが頭にこびりついていた。
近未来の社会。マッチ箱が積み上がったような・・・昔の引き出しのたくさんついた漢方の薬箱のようなものか・・・高齢者用の集住マンション。
高齢者はそこに収容され、コオロギ粉のフレークを配給され、死を迎えると居住スペースがまるまる引き出され、折り畳まれて、棺桶になり、そして別の引き出しが差し込まれ、翌日にはまた違う高齢者が送り込まれる。

なんでこんなイメージにとりつかれていたかはわからないが、どうせなら農作業している方がいいだろう。それにしても「ハカダチ」というのは、死に近づいていると言うより、しぶといエネルギーを感じるのだが、果たしてどんな日々を送っていたことやら。

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