一億総活躍社会とはいったい何なのだろう。首相官邸のWEBサイトには次のように記されている。
「一人ひとりが、個性と多様性を尊重され、家庭で、地域で、職場で、それぞれの希望がかない、それぞれの能力を発揮でき、それぞれが生きがいを感じることができる社会 」
いいじゃないか。これはせっせと進めていけばいい。しかしどうもこれが一番の目標ではないようだ。一番の狙いは「強い経済の実現に向けた取組を通じて得られる成長の果実によって、子育て支援や社会保障の基盤を強化し、それが更に経済を強くするという『成長と分配の好循環』を生み出していく新たな経済社会システム 」にあるようだ。
概要資料にも記載されているのは「経済成長の隘路の根本:少子高齢化による労働供給減、将来に対する不安・悲観」という点である。高齢化が進めば、要介護の人も増え、介護に携わる人も増える。社会保障も危機に瀕する。こうなったら、できる限り数多くの人に「労働力」として、現在の経済の維持のために働いてもらい、社会保障の破綻を先送りしなくてはならない。そしてその間に、少子化に歯止めを打ち、「労働力」を増やさなくてはならない。
多様な生き方が可能な社会を生み出していくことではなく、可能な限り長期間、市場経済の中に労働力として包摂されることこそが「一億総活躍社会」の狙いであることは明らかだろう。
多様な生き方を目指すのではなく、みなが「成長と分配」という幻想を追い求めて、走り続けることを期待するのは、本当に未来に夢を紡ぐ生き方なのだろうか。