米湿原

米湿原は、米地区が江戸時代から水源として利用してきた「米堤」の上流に広がっています。昔から米地区の人々の生活を支えてきた水源地なのです。

この奥の沢筋は昔はヨシ刈場として利用されていた湿地でした。しかし数十年ほど前から利用する人が減り、荒れ放題となっていました。ここに貴重なザゼンソウが発見され、地区住民や鮭川村自然保護委員会が協力して保全活動を開始しました。その後、この取り組みは生育地域の保全=「米湿原」の再生と保全活動へとつながりました。2010年頃からは米地区全体の景観保全、また地区の田んぼを含めた里山の生物多様性の保護・保全に取り組み、活動はこうして、米地区全体での伝統文化の継承や環境教育を目的とした交流事業の推進へと広がってきました。
当初、有志から始まった保全活動は、7年前に地区の農地や環境を保全するために設立された「米地区保全会」と「米地区自治会」との共同の取り組みとなりました。 

2007年の整備作業         2008年4月木道整備(TOTO㈱水環境基金の助成)

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<里山としての米湿原>
里山の一部としての湿原は、細長い湿地帯は水田として、奥の小盆地は葦苅の場とし利用されてきました。しかしその後の生活の変化により必要とされなくなり、50年以上経過し、土砂流入による自然撹乱、葦の堆積が繰り返されてきました。30年前に葦原の中に、アオザゼンソウが発見され、その後の調査でトキソウなどの貴重な植物が細々と生育している状況を把握されました。
<湿原の復活へ>
2005年頃からアオザゼンソウの環境整備が始まり、2007年からはより奥の湿地の保全活動始まりました。

<米湿原の春>

「30年前に確認した植物の復活を目指す」 ⇒ 現在にいたる。
そこには、キンコウカが群落をなし、トキソウやカキラン、ミズチドリらが彩りを添える。ヤマセミの声をBGMにカモシカが横切る。踏まれないようにアオオサムシたちがいそいそと、スゲハムシは葉といっしょに食べられないように落下。春は、もちろんギフ属も舞っている。
米地区は、その名のとおり、米(こめ)どころ。鮭川が蛇行し、その突端に肥沃な土壌を堆積させ、今も人々に恵みを与えてくれる

今秋にはオオミズトンボの再生を目指して、地面を50cmほど掘り返す計画。
●保全作業により復活した主な植物
・ アオザゼンソウ
・ トキソウ
・ サワラン
・ サギソウ
・ ミズチドリ
・ カキラン
・ ミズギク
・ ムラサキミミカキグサなど。

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