米地区の紹介

米地区はこんなところ

米地区は山形県最上郡鮭川村の南側、戸沢村との境に位置します。北から南に流れる鮭川が大きく湾曲する、川に囲まれた高台に米地区は位置しています。

世帯数は9戸、人口は40人弱の小さい集落です。P1210921m

<米地区散策コース>

米地区には川、山、湿原と多様な自然があり、里山を体感するのにふさわしいスポットがたくさんあります。また湿原駐車場からのぼった所にある展望台からは、鮭川に育まれる鮭川村の姿を望むことができます。

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↑地図はクリックすると拡大します。

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<地名の由来>

地名の由来は定かではありませんが、アイヌ語の「イ・オ・ナ・イ」鮭の群集する川の意や米の産地を指す意があるものと伝えられています。イ・オ・ナ・イを縮めて言うとヨネに聞こえませんか。漢字はあとで当てはめたものと推測されます。

<豊かな自然と田んぼの恵み>

交通の便に恵まれなかった集落は、自然が残り、他では見ることの出来なくなった希少野生動植物の宝庫です。また米地区の土地は鮭川に育まれた豊かな土でできています。私たち地区住民は、生物多様性を大切にし、里山の景観と自然を大切に守ることを基盤に地域づくりに取り組んで来ました。昔も今も、米地区では鮭も捕れるし米は旨いのです。

米地区

<米地区の歴史>
「鮭川村史」には次のように記されています。

「米集落の東、奥まった谷沿いに米堤がある。これが米の田畑を開発するもととなった水源地で ~ 藩政初期(17世紀初頭)には米堤を水源地として田畑を開拓し土着 ~」、「その後天和ごろ(1680年代前半)泉川から取水をはかる堰を開いた。水路は、川口~米をめぐり~向松坂におよぶものである。これを米堰といい近年まで重要な用水路」

江戸時代初期からすでに米堤や米堰があり、その水と共に集落民の生活があったことが伺える。また、道路交通には不便な地域で1974(昭和49)年に米坂橋竣工までは対岸の向居地区から舟での往来が主な交通手段であった。このような地理的条件のため、舟による漁業も盛んで秋から冬にかけての鮭漁が昔から行われている。

米湿原は、米堤の上流にあたる。

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