一条ふみ 東北のおなごたち 境北巡礼者の幻想 1979
フォーラム横浜で借りてきた「東北のおなごたち-境北巡礼者の幻想」。戦後から現代に向けての農村部での女性たちの思いや動きに触れてみたいと思い、あれこれ探している中で出会った本で、一条ふみという方については何も知らなかった。この本は、20の小編で構成されているが、そのいくつかを紹介してみたい。地域の言葉で書き記されている部分については、間違った解釈をしてしまっているかもしれない。
「守り神農婦たちと母」
「北上山地から沢から流れ出す水・・・」から始まるこの本の文章は、場所が岩手県県北の厳しい気候の土地の話であることを示しているが、時期についてははっきりはしない。昭和6年、9年が過去の冷害の記憶として語られているので、昭和28年、29年辺りの冷害の時期の話なのであろうか。そこに加えて、過去の思い出も語られるので、どの時期の話なのかを正確に捉えることは難しい。
しかしその中で語られる暮らしは、現金収入の機会も限られ、本家・分家の関係も厳しく、生活環境も劣悪で、「女性たちの運動はどうなっているのだ」というような視点から切り取れるものではない。
「今の女たちは賢くなって、本家などには、少し位条件がよくても、さらさら嫁入りなどしないのだ。二、三男の嫁の方がどんなに気楽に人生を送ることが出来るのかを心得ている」(P12)
その上で、「ばっちゃん」の話となる。(P13-15)
「孫夫婦に一通り大事なごご教えるべど思っても、ほんに今の人だちには無駄でがんすなす。もっとも、家の柱どが、つんぬげで出稼ぎさ行ってるだもの無理ねえごどだどもせ」
どこかで中断され見失ってしまった糸を、ばっちゃんは必死になって見つけ出し、それをつなごうとしているのだが、もやは一人の力ではどうしようもないことがわかる。
「なんぼしても、この土大事にして生ぎでぐように、みんなを育てたがったのに・・・」 本家奉公通いからようやく脱して、小作人の苦しさに涙が流れた」
・・・
「俺どが嫁この時、生家さ帰る時もまた、戻って来た時も、それはちゃんと姑さまの前さ手ついで挨拶しねばなんねもんだったす・・・」
・・・
「ばっちゃ、今時はなあ、農業の他の仕事して、ぜにとったほうがええんだ、その方が楽に暮らしていげる」と孫は大声で叫ぶ。
・・・心の底ではじいっと思っている。
「俺のまなぐ生ぎているうちは絶対に土離さね」と。
後半の話は、昭和30年代に入ってからかなと思われるが、本家・分家関係、嫁・姑関係の厳しさが語られつつも、やっと手に入れた農地そして土との関係、土への思いを伝えるものとなっている。全てを捨て去るわけにはいかない、それは「女わざ」の前文ともつながるところがあるのだが、家の中での権力関係については、嫁・姑との関係として語られる。嫁・姑関係から離脱できる二、三男との結婚が楽だといい、過去の姑との関係について語る。姑という存在が、家の中での男女間の権力関係を維持するため媒介として機能してきたということなのだろうか。
「天狗屋の長持と助じいさまの長持と」(P60-P78)にも嫁・姑に関わる逸話が出てくる。
「昔から、おなごは、嫁こにもらわれでくれば、まず長持の入れられた部屋こに一生居ねばなんねどごだったんだ。…姑さまも嫁この時はその部屋こですごしたんだものせな。嫁こもらえば、そのばんげから。姑さまは座敷さ寝るごとになるのだからな。位が家の中で上がるのだがらな。…」
家の中で、まず姑との関係が女性たちにとっての大きな壁であったのだろう。
「紅鼻緒と助けぬ神」
「家族の者たちがどんなに苦しい状況にあっても、それをじっと「家のかまど」をよくするために、おなごたちに耐えさせて、知らぬ振りをしているのが、その頃の村のおとこたちであった。…」P151
時代が移るごどに、おとこたちの手に残るものは多くなると思った。それが「家」のかまどの大きさと力となり、おなごたちは必死にそれを支えるものでなくては、己の命が生きる場所がなかったのだ。」P152
「一年のけぎゃじは七年ただる」
この話の後半の女性たちの話は少し時代が変わってくる。
美代こは、父親が勧めた相手との縁談を聞かず、他の家の、旧家の次男に嫁いだという。
しかし旧家は「かまど、なぐして何にもねぐなってる」状態であったが、家は旧態依然であったようだ。
「美代この望んだ嫁の座は、朝は夜の明けぬ中から大家族の飯たき、拭き掃除、姑・小姑にひたすらに仕えることになる。財産は空洞化になってしまっても、形だけの旧家に寄りかかっている、亭主の家族たちは、ことあるごとに、美代こを軽蔑し、下女あつかいし、小姑たちは「財産が欲しく嫁に来た者」としてのあつかいをおこたらなかった。」・・・
(中略)
美代こは家業にあまりしっかりしない亭主を励まして?-実はいじめて-亭主の家から、ぎりぎりと田をわけてもらい、自分も働いて田んぼを買い足した。…何年間か後でもうけて家を新築した。
(中略)
こういうおなごは世間の目には「家持ちのいいおなご」と映り、亭主は、おなごの目的のためにはしいたげられても、目的達成となれば「いいかがあだ」と大方は思っているのだ。」美代こは大正時代に農村に生まれたおなごではあるが、その頃の娘たちは人間として認められるどころか、牛馬と等しく親父の所有物であった。…美代こはそれに反撥し、自主の方向への生き方を選びはしたが・・・」(P176~178)
この後、時代は進み、「月給取りのおなご」が求められる話となる。
嫁をもらう農家でも姑たちは、
「できるだけ月給取り欲しいどもなす」
「そごらあだりの日手間とるよたおなごでねぐ、月給こもらってくるよんたの・・・」と月給取りおなごへの欲はきりもないのだ。
「女は解放されるどころか、いっそうぜに取り嫁として欲しがられ、家の暮らしをぜにによって楽にしようとねらう姑おなごたちによって、「家のために」働き蟻にされかねないすさまじい執念をみるのである」
・・・
「現在の農家の姑たちは、箸にも棒にもかからぬ嫁としての辛い涙の止まるいとまのない時代を過ごしてきた。その経験は、何よりも隣の家よりも豊かに物持ちになって楽に暮らして見せようとする思いにみちている。
嫁を勤めに出した後の育児・家事、の実権をがっちりと握りしめ「家」の力を強化して安泰に暮らすことをひたすらに願っている」
そして、農家の息子が見合いをしたら、生活が楽か、財産がどれくらいか、家族は少ない方がいいということばかりを聞かれた・・・「農村で農業を主として生きようとしているおとこたちは、いっそう、村娘のこうした考え方の中で嫁をもらうことから遠のけられていくばかりだ。」
今や、娘たちは、いい所へ、財産のある家、金のある家へ、そして楽できる家へ。とねらいをつけている。
そして確実に、その方向へとむかっていっているのだ。」
「村のおなごたちの自ら嫁にゆく方向を選び出し、財産や金で、自己を防衛していくことに、自主的に切り替えたのかもしれない」 P180~P 183
この話が1970年代だとすると、その当時の娘達は現在の70代ぐらいの世代となる。この当時から、現在に向けての道はひかれていたののかもしれない。
この点について一条は「物質的享受に心をかたむかせ」、「虚栄はみたされても」、「見せかけだけの、優雅さと安楽を目指すことに」・・・と否定的に見ている。
どうなのだろう。農村に選ぶべきところはなく、地方都市にもなく、都会に出ても、果たして選ぶべきところはあったのか・・・
そして自己実現と自己を防衛できる暮らしを選んだ時に、一人で暮らす方向に自主的に切り替えたということか。
「老い」P184- P201
ここでは、小規模な農家(三反、一反農家)が出稼ぎ専門になり、おなごたちも農耕からはじきだされる姿が描かれている。
「自分の長い間欲していたものも、自由に買え、着る物もえらんで買えるようになった。この地震と嬉しさは村のおなごたちをある意味で明るくさせた。・・・姑に気を使い、小遣銭もろくに持たなかった、いじましさから解き放たれた思いがしていたのである。」
一方で、町歩持ち(豊かな階層と言えるであろう)のおなごたちについては「農耕からはじき出されてしまった浮遊の下の村のおなごたちを少しは心の深底で軽蔑しながら、自分達は「息子の手助けをしている」誇りによって、ますます「家」に閉じこめられていくことを少しも気付く必要なく日々を生きているのである」
「数年前から、この百姓婆たちは子どもから拒否され、ある婆は自ら拒否してひとり土に生きて老い、今や思いも及ばなかった無料老人ホームへの道を孤独に耐えながら歩んでいるのだ」
「町歩百姓たちは家を新築し、・・・息子夫婦はゆうぜんとソファに腰かけて大型のテレビに見入る。そこに家族があっても、婆たち古びたおなごの居る場所がないのだ・・・」
(中略)
「家」を自己の最大の砦として、営々と根拠地の培いに日も夜もなかった村の百姓おなご婆たちは、老いを目前にして、老人ホームは百姓婆たちには縁もゆかりもなくて、「家」のない者たちの最終の行き場として映っていたものが、我と我が身が「家」からさすらい出る場に遭遇し、老人ホームに出会う」
村に残った者たちが、「家」にすがり、あらためて「家」に閉じ込められ、その一方で、最後にははじき出される。
それでも、婆たちだけでなく、残った者たちは、すべてを壊すことよりも、続けることで、その場を、その時を取り繕いながらも続ける事を選び、そしてその数を減らしつつあるということだろうか。
(2025/02/27)
コメントを残す