困りごとなのか、取り組むべき課題なのか?

 あれこれ片付けをしていたら出てきた、付箋に書き込まれたこのメモ。確か1年近く前に書き込んだもの。こんなの出てきてどうしようなのだが、なんとなく気になる。なにかの集まりの問題提起で、「困りごとはなんですか?」みたいのがあり、そんなの聞いてどうするんだ?という疑問から書き込んだもの。
 
 で、果たしてここ一年ほどの間に、私の回りで生起したことは「困りごと」だったのだろうか?「取り組むべき(解決すべき)課題」であったのか。多分、単純化すれば、「困りごと」という集合と「取り組むべき(解決すべき)課題」という集合は、重なり合う部分がある二つの集合だと言えるのだろう。

「取り組むべき(解決すべき)課題」ではない困りごと。この中には、「解決できない困りごと」と「解決すべきではない困りごと」があるのだろうか。
「解決できない困りごと」の中には、「解決したくない困りごと」と「外部要因のウェイトが大きいから自分では解決できない困りごと」の2つが存在するだろうか。
「解決すべきではない困りごと」は、困りごとではあるけれども、積極的にアクションを取って解決すべきとは考えられない困りごとと、解決を考える対象ではない、共存しなくてはいけない困りごとの2種類を考えることができるだろうか。

いやいや、困りごとから考えるべきなんだな。
・自分がアクションを取って、解決すべき困りごと(課題)
(この中には、自分だけで解決できることと、自分のアクションではほとんど微々たる変化しかなくても、とりあえず前に進むことができることまで様々だろう)

・自分がアクションを取って、解決してはいけない、あるいはするべきではない困りごと

・自分がアクションを取っても解決できない、困りごと

・そもそも解決とか考えるのがおこがましい、共存すべき困りごと

これに加えて、何かを進める上で、現時点では困りごとではないけど、取り組むべき課題」、そして現時点では、困りごとでもなく、解決する必要もないけど、いつか取り組むべき課題。

1)「いつか取り組むべき課題」:まだまだたくさんあるけれど、だいぶ先送りしてきたまま生きている。本当に、将来取り組むことがあるだろうか・・・
2)「取り組むべき課題」:この「取り組むべき課題」に取り組んできたのか、逃げてきたのか、ここが問われるのだろう。手を付けやすい課題には手をつけ、手をつけにくい物は放置し・・・言い訳的には、全部できるわけがないのだから、まあこんなもんか。

3)「解決すべき困りごと(課題)」:これは、現時点において「困りごと」として自分自身にネガティブなインパクトを与えているのだから、最優先で解決すべき事項と考えることもできるだろう。しかし、自分にとってのネガティブなインパクトが解消されるだけの話であれば、別にそのまま「困りごと」として放置しつつ、「取り組むべき課題」に取り組んだ方が有意義であるのかもしれない。
*この一年は多分これだな。困りごとは困りごととして継続していたけれども、その解決に取り組むよりは「取り組むべき課題」に取り組み、困りごとは場所とともに切り捨てれば解決しなくてもいい。
*外部からのサポートは、この「ネガティブなインパクト」が大きいようであれば、この困りごとの解決のために支援を行うこと、次に「取り組むべき課題」の解決に向けて、優先度を付けること、有効な外部からの投入について検討、助言することってことになるのかな。困りごと相談会ではない。

4)「解決すべきではない困りごと」:自分自身にとっては「困りごと」として認識されたとしても、他者がいる社会の中で、自分自身がアクションを取って、その「困りごと」の解決に取り組むべきかどうかは定かではない、そんな話はいくらでもあるな・・・

5)「解決できない困りごと」:これも、他者がいる世界の中で、自分自身の困りごとが、すべて自分の思うように解決されるわけはない。

6)「共存すべき困りごと」:明らかに、自分自身は困っているとしても、自分で動いても、外から支援を受けても、解決するものではなく、共存すべき困りごと。
*半年以上前に痛めた指は、結局今も時々痛むし、あまり力が入らない。けど、こんなものは、それで生きていくしかない。そんな話かな。

2025/1/25

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