草刈りについて考える

少し雑草、草地、草刈りについて考えてみようと、何冊か本を買い、何冊か途中まで読み、家の本棚からも古い本を引き出し、考えてみたりしたのだけど、そのまま数ヶ月考えることもなく、日が過ぎた。
で、今朝からまた少し考え始めたので、書き込んでおこうと思う。別に、ブログの記事にする必要もなければ、公開する必要もないのかもしれないけど、まあ、どうせ誰の目にも止まらない、隠れたブログの隠れた記事だから、まあいいだろう。PCのハードディスクの中にいるより、「書きかけだった!」と思うだろうから。

草刈り試論

去年は相当草刈りをやった。しかし農家ではないので、畦畔の草刈りがないから、相当って言ってもたかがしれているのだろう・・・農家さんからみたら。

しかし、草刈りの将来はどうなるのだろうか?
自治体が管理しているような道路や河川沿いの草刈りは、回数を減らすとともに、機械を導入するしかないのだろう。そもそも、もっと機械導入が簡単になるような仕様に切り替えていく必要があるのだろう。地域に業務委託していく時代など、もう数年の話にちがいない。
ガードレールやらいろいろな支柱やらも邪魔になるのではないかと思ったが、インスタで動画見ていると、果樹の回りを「くるり」と刈る機械などもあるようで、それはどうにでもなるようだ。河川の法面などもトラクターにアタッチメントを付ければどうにかなるだろう。
河川の内というか、河川敷というか、それがごっちゃになっているようなところはどうなのだろう?そもそも大型の機械がクレーンを使わないと下ろせない、走行できる道がない。こんなところは、ヤブが深くなり、獣の専用道になっていくのだろうか。(いやいや、もう数年したら、獣たちはもっと快適な道を堂々と走っているのかもしれない)

さて、日本の農村は昔(江戸後期以降という感じだろうか?)はもっと草地だらけだった。山は森林的利用というよりも、薪も必要だし、短いサイクルで伐採されていたことだろう。里山は刈敷などの草地として利用され、牛や馬が広がれば採草地・放牧地としても利用された。(簡単にこんなところであっているかと思う)
その時代、雑草というか、刈られる対象の草は資源だった。資源だから刈って使われる。それは収穫みたいなものだろう。
それがいつからか、草刈りは単なる作業となる。稲の収穫を実現するための畦畔の草刈り。とりあえず居住環境を維持するための周辺草刈り。畦畔は放置すれば、農作業にも収穫にも影響するし、集落内は、景観上も悪いと考えたか、害獣・害鳥のすみかとなると考えたか、共同で管理する道路や水路の支障になると考えたか、当初は行政からの命令で管理したか?詳細は判断しかねるが、そんなところではなかっただろうか。

しかし、その作業は負担であり、コストであろう。畦畔であれば、省力化したいだろうし、その方がコストが下がる。しかし除草剤の利用は畦畔の保持にいいとは言えない。当初の田んぼの形状があり、畦畔がついてくるので、今、田んぼを造成したら、草刈りが大変な形状にはしないだろう。棚田、小面積の田んぼなど、草刈りの負担が大きい、大型の機械で草を刈れないところは、田としては利用しない方向になるのだろう。(2025/01/12)

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