追記:今和次郎がおもしろい

 この前ちょっと気になった「今和次郎」。古本で、「家政学のために」という古い冊子を見つけて買ってみた。1950年に出版されているのだけど、面白い。

「礼法について」
 封建社会から離脱して新しい認識に変えなければいけないことに礼法にかかわることがある。礼儀作法というのは行為の表面的な動作ではあるが、同時に生活を全面的に包み込んでいる。それは無意識的に行われるものである。
 精神の内部においては、古いかかわりから既に離れている人も、それは作法という表現までは及んでいない。どちらでもいい瑣事として意識しないままに放っておかれる事が多い。
 しかしそういうのが生活を縛っていたり、無駄な支出を要求したりしている。
 家事の先生が説くところを校長先生が、作法の先生が殺していたといえるのが、これまでの実情ではなかったか。

 「今日の生活」
 ここでは例えば正月行事の中に、封建的な事項が含まれるのではないかと疑問を呈し、「大人をも子供たちをも、思索することをわすれしめ、形式だけのことに押し流そうとする原素が含まれていないか。残るものだけは残してもいいが、捨つべきはむしろおしげなく捨て去りたい」
「そのような行為を選択する際は、伝統という言葉や日本的という言葉がぢやまをする」
「考えごとをするということは、それだけわれわれの行為をにぶらせることである。しかし行為の質を吟味する点からは、それを忍ばなければならない。もし行為することをあせるならば、考えることなく、習慣のままかまたは何かを真似してて行為することが1番安慰な道となろう」

(2025/3/3)

「家庭生活の分析」
ここでは家庭生活を5つの部類にわけて検討しているのだが、その第3の部類「作業的部面-炊事、掃除、裁縫、洗濯」についての記述から見てみたい。
「…これらは、これまで「家事」と称されて、在来の観念で考えられていた「嫁」たる者の資格として、すべての助詞に重点的に訓育づけられた」
「その主任者である主婦は事務的労作と作業的労力との重荷を負わされている…夫は社会的労作に従事し、妻は家庭的労作に従う、という運命に…それが永久にそのような仕組みのままでいいものであろうか」
「『主婦』あるいは『奥様』というものは、…その道で、社会的な地位に立つ人と認められて、一個の職業人として存立してもいいのではないか。」
「再生産生活の運営のための労働-家事労働ーは直接の生産的活動のための労働と一連の関係あるものと考えたものである。

 また第2の部類とされている食事・団欒については「楽しみ」であり、生活の中での「美的、芸術的であることによって価値づけられる部面である」としているのが興味深い。

 続く

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