追記:まつを媼(おばば)百歳を生きる力

「まつを媼(おばば)百歳を生きる力」石川純子 2001

 小原麗子氏関連資料や柳原恵氏著作から見つけた石川純子氏の聞き書きの書。送料入れても300円ほどで買えたので、つい、買ってしまった。こちらも岩手県の女性の話し。まつを媼は現在の奥州市胆沢の方らしい。どうも次から次へと岩手の女性の話が出てくる。

さて、とりあえず今和次郎と平行して読んでいるので、内容はぼちぼちと紹介するとして、姑との関係が想像を絶するもので、それは(だいぶか、すっかりか変わっているのだろうとは思うけど、)農村部で女性たちと話していてもあまり聞くことがない話題で、もう少し最近の話も知っておきたいところ。
 続く
(2025/3/6)

P33~P48あたり
小学校の教員もしていたまつお媼、大正4年、嫁入り直後21歳の頃の話だろう。(朝)4時になると、姑に伺いをたてるのだという。
枕元に手をついて、「お姑さん、今朝は何をしたらよがすぺ(いいでしょうか)」
「嫁は姑嬶(しゅうとかが)が、夕飯の支度を手がけた家さはいられない」って教えがあった」
「「嫁づとめ十五年」っていったんだが、十五年もいびられて姑になるんだよ。鬼にもなるだらや」
こうして、嫁はひどいあつかいを受け、その一方で夫は親につくという時代であったようだ。

P76~
この辺では、戦前から戦中にかけての女性の組織や生活改善の取り組みについて触れている。舅親父が息子の嫁に手を出す「粟まぎ」の話なども語られている。

村の小学校建設に屋敷林(えぐね)を提供した話も語られている(P96)。屋敷林もこうして利用されながら、維持管理されてきたのではないかと思う。

P107~
「嬶孝行をかかげ生活改善運動」
ここでは戦後の生活改善運動について語られている。
役場に本部が置かれ、:1「封建制の打破、迷信の追放」2:「時間の励行」3:「住宅改善」4:「食生活の改善」5:「保健衛生」6:「冠婚葬祭の簡素化」7:「レクリエーション」と7つの部門が定められて、運動を展開していたようである。
そして「住宅改善」の取り組みの経験が語られ、「女は一銭の金も自由にできなかったのだから」「文化無尽」を作り、風呂場や台所の改善に取り組んだという。
また当時の話として、男が財布を管理し、例えば、田植えの手伝いの賄いの買い物も男が行っていたという。そして無用な散財をしてくる。
「稼ぎ女に配り男」だったのを逆転させて、「稼ぎ男に配り女」にさせるのが、生活改善運動だったんだよ、と語っている。

この辺の性別役割の変化はどうおこったのだろうか?

そして時代の中で、「台所改善なんていっているうちに、たちまちダガダガと新築する時代が来たもの・・・しかし生活改善運動やったの、無駄だったとは思わないよ。・・・この運動のおかげで、女たちの意識が変わったからね。・・・・みんなの気持ちが一致していたし、女たちに勢いがあったもの」

このあと、まつを媼は村会議員にもなっている。

「生活改善運動と今和次郎」のところでとりあげた話につながるが、当時今和次郎はこうした生活改善運動の政策立案に近いところにいたと思われる。その当時に、「内科的な家族関係の近代化」の必要について語っていたが、そこに取り組んでいく突破口として必要だった「生活改善運動」もあるのだろう。
その一方で「『稼ぎ男に配り女』にさせるのが生活改善運動という視点はどう理解し、何がどう変容したのか・・・よくわからない。

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