雄子沢(おしざわ)口から「雄国せせらぎ探勝路」を通って、雄国沼まで。この日の様子です。














雄子沢(おしざわ)口から「雄国せせらぎ探勝路」を通って、雄国沼まで。この日の様子です。














歩いていたら、雄国沼に取水口があるのを見つけ、気になって歴史の勉強
1)雄国沼形成史
これは磐梯山ジオパークのサイトには次のように記されている。
「雄国沼は、以前は火山噴火に伴う陥没によって形成された陥没カルデラに水が溜まってできたカルデラ湖と考えられていた。しかし現在では、山体崩壊により生じた爆裂カルデラ内に新たに山体が形成され、そこにできた凹地に水が溜まって誕生した湖沼という説が有力である。」
それをもう少し図を入れて詳しく説明してくれているサイトがこちらになるのだろう。
福島県:猫魔火山による雄国沼カルデラと雄国沼
2)江戸時代の灌漑開発
「明暦3年(1657)9月、平左衛門は、藩の許可を得て隧道工事を始める。」喜多方市の「雄国新田開発のものがたり」によるとまず堤防を作って、面積を3倍にし、かつ隧道を掘って、水を引く計画だったようだ。
その結果、1660年には新田開発が可能になったという。
上記サイトに地図が掲載されているのだが、中土手の北側に「新沼」があってどれが堤なのかよくわからない。北側にある百間土手というので、新沼ができたのだろうか。
なんにしても、カルデラ湖ではあるけど、ため池でもあるということかな。
3)昭和の開拓事業
昭和45年に「国営雄国山麓開拓建設事業」というのが始められたようで、ここでも上の雄国掘抜堰の水が使われているらしい。この事業は平成4年まで続いていたようだ。
*ちなみにこの事業について触れていた資料「福島県の湧水シリーズ(その26)雄国沼-明るく開けたカルデラ湖-」によると
雄国沼は流入する河川の水量は限られていて、地下に湧水があるのだろうとのこと。
果たして、江戸時代の前はどんな沼だったのだろうか?
4)小水力発電
ちなみに、現在は雄国沼から流れ出る農業用水で、小水力発電も行われているとのことである。
喜多方市雄国山麓の「小水力発電所」公開 雄国沼から流れる農業用水利用 福島

今日は、安達太良山の山開き。風が吹きまく頂上近くで咲いていたの(と言っていいのかな?ぎりぎりつぼみ?)はコメバツガザクラのよう。

1997年(平成9年)、沼ノ平では硫化水素ガスによって4名の登山者が命を失っている。安達太良火山の火山ガス災害
やはり、火山は怖い。
この沼ノ平にはかって硫黄の精錬所が存在した。Wikiの沼尻鉱山によると1888年には採掘が開始されていたらしい。しかし1900年の噴火で精錬所の建物は新噴火口に飲み込まれ、83名いた従業員の大半が死亡したという。
「安達太良火山1899-1900年噴火の経過と特徴」
この時の水蒸気爆発で「湯沼」が形成されたらしい。
しかし事故にも関わらず、採掘は再開され、採掘場所からの運搬に「沼尻鉄道」も1913年には開通している。この沼尻鉄道は1968年に全線休止となっている。
ちなみにその鉄道のルートを歩いてみようという地図がある。今度行ってみようと思う。
沼尻鉄道やら鉱山については、また後日調べてみようと思う。
写真を見つけた
その他面白いので要チェック
会津若松市デジタルアーカイブ
https://adeac.jp/city-aizuwakamatsu/catalog-list/list0007

そもそもなんでこんな地形が出来ているのか?それが最初に知りたい所だったので、そこをもう少し深掘りしてみたい。
この平坦な沼ノ平が火口(沼ノ平火口)で、11万年ほど前に形成されたという。25万年前から20万年前もこの火口周辺と思われる噴出口から噴出した溶岩流が薬師岳や安達太良山などの溶岩台地を形成したという。その後も噴出物や溶岩で山体を形成していったということのようです。そうすると安達太良山っていう山塊は火山活動で形成されたけれども、火山そのものは沼ノ平ってことになるのだろうか?(その1の資料から)
で、その沼ノ平については火山学会のサイトに次のように記されています。
「平坦な泥の広場は,水蒸気爆発の時,火口周辺や爆裂火口壁にたまった 大量の火山灰が水によって流されて低いところ,すなわち活動を停止した火口に再び 堆積してできたものです.水とともに溜まったので非常にきれいな「水平面」を作っ ています.沼の平の「爆裂火口」は,底だけはすぐ抜けるので,その都度新しく張り 替えているけれど,胴(壁)は古いまま使っている鍋みたいなものだと思っていただ けるとお解りいただけるかと思います. (07/29/02)」https://kazan-g.sakura.ne.jp/J/QA/topic/topic209.html
標高の低い方に流れていくのであれば、浸食は進むけど、下に水は(じわじわと)抜けているから平坦な面が生まれていると言うことだろうか。抜けなくなれば、火口湖になるということか・・・
明治33年の噴火の後に、沼ノ平の火口湖は「湯沼」と呼ばれていました。(安達太良山火山防災マップ)という
(「安達太良山で完新世に発生した火山泥流に関する一考察」にも記載あり)
火口壁の岩盤は溶岩なのだろうけど、周辺が崩壊して、現在の姿になっているのか?噴火活動の時に壁状に削り取られて壁になるのか?どうなのだろうか?