先日、「「なぜ私ばかりが…」フキハラは夫への感情労働か 社会学者の問い」なる記事を読んで以来気にかかる。そもそも「不機嫌」にまでハラスメントを付けなくてもいいじゃないか・・・不機嫌が問題なんじゃなくて、ようは「ハラスメント」と言いたくなるような関係性が存在している事が問題なのになんでも「ハラスメント」付けんなよ、ってのは。

 これ平尾剛のコメントに近いかな。
「ただ、ひとつ言えるのは、他者の不機嫌に振り回されることを「ハラスメント」と称するのは、いささか行き過ぎではないかと思う。コミュニケーション不全がすべてハラスメントになるならば、他者との共感や他者への理解をどのように築いていけばいいというのだろう。言葉の濫用とさえ思えるのは私だけだろうか。」
 特定の社会関係の中で、権力関係が存在している中で暴力が行使される一つの形態がDVで、不機嫌自体は別にDVとは直接関係はない。不機嫌な時にVが行使されると問題。しかし「フキハラ」という用語で、不機嫌がハラスメントと直結するような語法を拡大することは問題ではないのかな?

 セクハラ、パワハラ、フキハラなどなど関係性の中で発生する齟齬をすべてハラスメントの領域に入れてしまったら、人間は一人で生きるしかなくなる。

 子育てもハラスメントだ。選択権のない子どもは生まれ落ちた瞬間から、親の躾の領域に落下する。だから、逆にそれを否定できないところから、関係性の構築が始まる。子どもは子どもで、泣く・叫ぶ・だだをこねる 「フキハラ」そのままじゃないか。でも、とりあえずVが生起しなければ、あとは折り合いをつけて、育てていく。親は親で、あれしろこれしろ、あれするなこれするな、完全に権力関係があるから「パワハラ」だよ。子どもは、それと折り合いをつけつつ、いずれ離脱する。
 で、なにかって、固定的な権力関係の中で、不機嫌に付帯してVが行使されることが問題で、不機嫌がトリガーになっているだけで、そもそものいびつな権力関係自体が問題なのではないだろうか。(2025/1/9)


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